令和時代は新たな老後人生の幕開け
1966年生まれの私にとって、それ以前に生まれた方たちはすべて先輩になります。
先輩に対して物申すことは、あまりしないのが日本の国民性です。
シニア過ぎますと大半の方たちは、自分の生き方を構築しており、他人からとやかく言われて気分がいい人は、皆無に等しいのではないでしょうか?
決めつけはいけませんので、なかには柔軟な頭の持ち主で、後輩の言葉に耳を傾けるシニアもいると思います。
だけど少数でしょう(笑) やはり決めつけてますね(笑)
過去とは、経験という形で誰もが通る共通点を知ることになります。
過去は変えられませんが、変えられないプロセスは後世に残ります。
未来のことは誰にも分りませんが、未来は自由に変えることができます。
自分の選択によって、あるがままの自分を想像することもできます。
変えるも変えないも、どちらかを選択する自由は、令和の時代には誰にもあるのです。
昭和の時代は観て覚えろと罵倒されながら先輩達から何かを学びました。
それに対する見解に良し悪しはありますが、昭和の時代から今の時代は明らかに変化したのです。
ですので、このブログは、私と同世代。もしくは1966年以降に生まれた方たちと共に、老後について一緒に考えていきたいと思っています。
※勿論、諸先輩の方たちに賛同されたら、こんなにうれしいことはありません。そんな方たちにも耳を傾けてほしいです。
先に生まれた者は誰もが先生
先ほども言いましたが、私よりも先に生まれた諸先輩方たちには、正直私から何も言う事はございません。
誰もがシニアという老後を迎え、誰もがこの世から去ります。
そして誰もが、誰かより後に生まれ、誰かより先に生まれます。
誰かより先に生まれたのなら、それは後輩たちからすれば先生なのです。
先生とは、権威がある人たちを指すものだけではありません。
後輩たちの迷いや苦しみを解放してあげられれば、立派な人生の先生です。
私はこのブログを、そんな先生を創り出すのが目的です。
令和の時代は、昭和の延長ではなく、新しい老人「New Old Man」による老後設計の到来です。
それは、今までの常識である老後に必要なマニュアルではない新しい発想です。
老後には、貯蓄が必要で、健康で、年金で暮らせる暮らし方が必要とありきたりな枠の中に老人を閉じ込めてしまいます。
●貯金が無くても生きていける。
●健康じゃなくても穏やかに生きていける。
●年金が無くても暮らしていける。
そんな理想を抱えながら生きていける世界を想像しても決しておかしくはありません。
むしろ世の常識に囚われて、できることもできなくさせているのは、すべて自分の考え方と発想なのです。
AIに支配されるのではなく共存していく世界へ
私よりも先に生まれてきた諸先輩の大半は、インターネットに疎い方たちが多いです。私も含めて(笑)
面倒くさいことには、とかく手を付けたがらないのが人情。
そうやって昭和の時代の人たちは、令和の時代から淘汰されていきます。
人の生き方にとやかく言う権利は誰にもありませんが、時代はインターネットの社会であり、AIが現れて人間のする仕事も変化していきます。
人間は感情の無いロボットに仕事を奪われ、支配されていくと考える人がいます。
また私のように、AIを理解することにより、今よりも便利で楽しく自分らしい生活ができると考える人もいます。
そんな後者の考え方が、新しい発想で自分の常識を創り出し、考え方の違う人たちと共にシェアしあいながら、AIと共存していくのが大切です。
そのためには、いち早くパソコンに慣れることが必要条件になります。
これからのシニアは楽しくパソコンに触れ、オンラインの生活から情報発信していくライフスタイルを自分なりに構築していきましょう。
そして労働という発想からではなく、自分の価値を世に提供する。そんな世界をAIと共に生きていきましょう。
By ROUGO