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50代からの老後設計⑤「向こう三軒両隣は通用しない」

こんにちは、世界のROUGOです。

私の名前ROUGOは、「老後」をテーマに当て字にしたニックネームです。

1966年生まれのROUGOが2026年還暦を迎え、これからシニアになる同世代もしくは、40代、50代のシニア予備軍の読者と共に「老後を考える」ROUGOブログです!

前回のテーマは過去記事参照【50代からの老後設計④「孤独は怖い」】お伝えしました。

今回のテーマは【50代からの老後設計⑤「向こう三軒両隣は通用しない」】をお伝えします。

本当のコミュニティとは

今の若い世代は「向こう三軒両隣」と言う意味を知っているだろうか!?

向こう三軒両隣」とは、自分の家の両隣と、向かい側の3軒を指し、日頃から親しく付き合う近所づきあいの範囲を表す言葉です。戸建ての場合、引越しの挨拶の目安とされ、特に集合住宅では、生活音や騒音など互いに配慮しあうべき近隣の範囲として重要視されています。

マンションや集合住宅の場合

  • 戸建てとは異なり、向かい側がない場合が多いため、両隣と上下の2軒を指すのが一般的です。これは、生活音が上や下にも響きやすいためです。

※2025年度版AIからの引用

引っ越しの挨拶の目安として、親しくする範囲としてこの言葉がありました。

ROUGO(私)も半世紀生きてきて引っ越しを何度か経験してきましたが、結論から申し上げて、向こう三軒両隣は全く意味がないと思っています。

もともと基本的に周りの人と仲良くするのは当然のことであり、仲良くしないことを前提にそこに住むわけでもありません。

トラブルを防ぐための手段かもしれませんが、してもしなくてもトラブルは起きるものです。

「向こう三軒両隣」は、日頃から親しく交際する、頼りになる近隣の範囲を指す言葉としても使われますが、その範囲だけ親しくしていれば後は関係ないということでもありません。

逆にそれ以外の近隣の方の方が協力的で親しくなる可能性もあります。

「向こう三軒両隣」の限られた住民がすべて理解のある方とは限りません。

形式的なことで事を済ませることも大切ですが、無くてもいい環境づくりも必要です。

では無くてもいい環境づくりとはどのようなものでしょうか!?

引っ越しなどの挨拶は、しないことを前提にする

田舎に行きますとそこにはそこのしきたりがあるらしく、引っ越されてきた新参門が苦労する話をききます。

それに従わないと村八分になるということです。

新参門とは、「新参もん」は「新参者(しんざんもの)」のことで、新しく組織や集団に加わった人、または、ある主君や主人に新たに仕え始めた人を意味します。新人や新顔、新入りといった言葉に類義語として含まれます。

村八分は村の秩序に背いた個人や家族に対し、村人全体で交際を絶つ制裁であり、「八分」は火事と葬式を除く他の 付き合いを絶つことから来ています。この慣習は江戸時代から昭和初期にかけて行われ、共同体内の秩序維持のために存在し、現代では人権侵害に該当する違法行為とされています。

※2025年度版AIからの引用

引っ越しの際に挨拶とは、粗品を持って引っ越ししてきた側の気持ちであり、既存の住民のためのものではありません。

挨拶に来ないからと気分を損ねる住民がいますが、挨拶は不要という双方の見解が必要です。

近隣とのトラブルは自分で解決しない

近隣とのトラブルとして

①騒音

騒音のトラブルは聞く側の感覚によりますが、騒音を出す側は自分のやっている行為を気にしていないか故意で行っています。

親しい近隣の住民であれば、直に話し合いで解決する可能性はありますが、そうでない近隣に対しては自分で解決するのは避ける方が無難です。マンションなら管理組合または行政に依頼する。

故意の場合は警察に通報することです。

110番通報は気が引ける方がいますが、事件になってからでは遅いです。警察も公務として仕事をしていますので住民として利用して問題はありません。

近隣だからもめたくないと我慢して生活することは、精神的によくありません。

だから近隣とは深入りしたお付き合いはしない方がいいのです。

②陰口や噂話

一切気にしないことが肝要。

①と②も多少のことであれば大目に見ることも必要ですが、日々の暮らしに害することはひとりで抱え込まずに行政に相談しましょう。

戦前・戦後日本はすべての国民が貧しくお互いが助け合っていかなければ生きていけませんでした。

そして人間関係も親族か近隣の住民だけだったのです。

醤油が無いから隣の住民に借りに行く。

その背景には、その隣の住民も醤油がなくなる確率は高くお互い様の精神があったのです。

今そのような状況では、ある意味深刻です。

その時は市町村の行政に助けてもらうことが最善なのです。

生活保護を受けるのがいけないという風潮も変えていかなければいけない

生活保護に文句を言う国民は自分が今おかれている立場が生活保護を受けずに生活できるから他人事なのです。

生活保護は過去記事【50代からの老後設計④「孤独は怖い」】参照。

戦後の困窮と今の困窮の違い

戦後の国民は敗戦により誰もが貧困に困窮していました。

令和の時代は貧富の差が二極化され中流階級が減り、貧困に困窮している国民が増えました。

富裕層は益々裕福になり富を形成していきます。

お金だけが成功と幸せのバロメータと勘違いした富裕層は

「今だけ、金だけ、自分だけ」というスローガンで生きる様になったのです。

資本主義の形態がそうさせたことは否めませんが、少子高齢化に伴いそれでは生活が成り立たない国民が増え続けていくのです。

本当のコミュニティとは、心底自分の思いを心から開ける場であり、環境を言うのです。

「コミュニティ」とは、①地域社会や共同体を指し、共通の目的、価値観、利害、あるいは特定の地域や趣味嗜好などで結びついた人々の集まりを意味します。②地域住民の集まりから、インターネット上の集まりまで、その形態は様々です。

※2025年度版AIからの引用

①地域社会で共通の目的で結びついた人々の集まりの中に②の様々な形態があります。

地域住民の集まりとインターネット上の集まりです。

地域住民の集まりが「向こう三軒両隣」という従来の考え方なのです。

本来ならここで素晴らしいコミュニティができるはずですが、人種も多様化してきて考え方の相違が昔よりも複雑になってきたのです。そこで次世代はインターネット上の集まりが増え始めたのです。

これからはインターネットで世界交流

地域住民や人々の集まりで従来なら直に会って交流を深めることがコミュニティと考えていました。

今もその風潮は根付いていて、それを好む人も多いです。

しかし次世代のコミュニティは直に会った一期一会の関係だけではなく、心から打ち解けられる真の友好関係を望む人が増えてきました。

そこには会って交流しなくてもインターネットを通してオンラインで交流できる形を望んでいるのです。

向こう三軒両隣」が世界に広がる

人間関係においてわずらわしさは避けたいものです。

形式だけのお付き合いは今後不要に成ってくるでしょう。

冠婚葬祭から地域交流も時代とともに変化していきます。

正直申しまして、人はこれから益々自分勝手になっていきますので他人のことなど考えない世界になっていきます。

インターネットはそれを助長するツールになり得ますが、そうでない自分と同じ考え方の人との出会える機会もあり得るのです。

昔の「向こう三軒両隣」はそこしか人との交流が無かったのです。

親しくする人も近隣しかいなかったのです。

今は違います。

大勢の人と出会う分母が多ければ、価値観の合わない人と出会うのも多いですが、価値観の合う人とも出会えるのです。

それがインターネットでの情報発信なのです。

クリックすれば世界に向け自分という存在を発信できるのです。

まとめ ブログを使って世界に発信しよう

人生の折り返し地点に差し掛かった40代から50代は老後に向けて考える絶好の時期だと思います。

ROUGO(私)が言う老後とは本来の自分の生き方を実現するためのものだと思っています。

「向こう三軒両隣」の人間関係で困ったときに助けてくれる他人はいません。

自分を助けてくれるのは自分です

その自分が今必要とする人を教えてくれるのです。

その出会いを造るために、50代にブログを書くことを推奨します。

世界に目を向ければ、今までの小さな枠の中で生活してきたことに気づき、自分から自分の人生を切り開くことができるのです。

ブログを始めたい方は下記の過去記事を参考にしてください。

老後の人生、思いのままにあるがままわがままに過ごしていきましょう。By ROUGO

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